それから

 

最後にブログを書いてから1年が経っていた。ちょっと意味がわからないスピードで毎日が過ぎて行くので気づけばそんなことに。1年の間にあったことといえば、24歳になったことくらい。仕事は続けている。入社して1年と少し過ぎた。初の人事評価では「高く評価しています」とコメントされたのでそれなりにやっていけてるらしい。

 

体調は良くなったり悪くなったり。今はかなり悪い。いかんせん仕事がてんやわんやで。初めてプロジェクトのリーダーみたいなやつ(そんな大層なものでもない)になって、私はもともとリーダー的なやつに苦手意識がすごいので日々怯えきっている。掛け持ちしている案件もいくつかあり、積み上がっていく仕事を見様見真似でこなしていくうちに気づけば具合を悪くしている。こういう波は定期的にやってくるのでどうにか流していくしかないのはわかっている。会社に行く途中気分が悪くなってトイレで吐いたり、眠れなくなったり、急に涙が出たりする。でも私はどうしても頑丈なのでそれらを騙し騙しなんでもないように振る舞うことができてしまい、振る舞うことができるだけスゲーじゃんという謎のポジティブを発揮して、明日からまた仕事をする。

 

仕事自体はそんなに嫌いじゃない。会社の人たちもみんな穏やかで接しやすい。ただ、私がトラブルを招きやすい体質なのか運が悪いのか、担当のプロジェクトはイレギュラーな事態が次々に発生していて監督役の先輩は頭を抱えている。大変申し訳ない。なんとかやっていきたいと思いますので何卒ご指導よろしくお願いします、としか言いようがない。先週あたりでいよいよ修羅場になり基本「なるようにしかならん」精神の私も流石に不安に襲われて朝起きてちょっと泣いた。でもそれもなんとか上手く収まった。何事にも大小問わず波がある。落ち着くのを待つしかない。

 

この一年マジで仕事しかしてないので書くことが仕事のことしかない。会社の人たちは上京して以来出会った人たちの中では群を抜いて話しやすく、すごくラッキーだったと思う。大好きなメンターの先輩がいて、前職が闇すぎて手負の獣状態だった私にすごく優しく丁寧に接してくれた彼女のことを私は心の底から尊敬している。人生においてたまに出会う、根っからの善人ですタイプの人だ。私はこれまで出会ってきたそういう善人タイプの人のことを、いつまでも覚えているしいつまでも大事に思う。

仕事自体嫌いではないものの、内容はしんどい。業務量が狂っている。手取りに対する仕事内容の見合わなさもすごい。入社してすぐ1時間研修を受けただけのSQLを深夜までいじくり回し、かと思えば朝5時半に起きて都外の客先まで訪問したりする。月に一週間の出張が毎月続いた時期もあった。キングオブ理不尽なお客さんに面と向かって怒鳴られている最中に「はい」と相槌を打ったら「“はい”じゃねえだろ!」とさらにブチギレられて「すみません!」と頭を下げ続けたこともあった。そういう感じ。それでもやっていけてるのは、基本的に在宅勤務だからかもしれない。私の最難関は朝起きて満員電車に乗ることだったので、それが免除されている今深夜まで働くのもお客さんにたまに怒鳴られるのも我慢できるっぽい。高校のとき成績も悪くないし授業態度も真面目だし制服だってきちんと着ていたのに毎日遅刻するせいで留年しかけた人間なので、なるほどと思う。

多分、コロナ禍が存在しなかったら私は早々にメンタルをやって退職すらしていたような気がする。

 

ただ、現在進行形でおしまい気味なのは間違いなく、死にたいなと考える瞬間も増えてきた。とりあえず過ぎ去るのを待ってみる。いつもメンタルのヤバさに比例して家の中が大変なことになるんだけど、それでいうと上京して以来一番やばい。どうする?て感じ。

 

母親とは、今年の三月くらいに人生最大くらいの気まずい感じを迎えて、私がついに号泣しながらこれまで積もり積もった不満のような苦しみのようなものの百分の一くらいを伝えた。3フレーズくらいしか言えなかったけど。言ったあとマジで吐きそうになって、これはもう病気だなと思った。いよいよ母親との関係も終焉かと思われたけどなんだかんだ何事もなかったかのように今もやりとりしている。親子って大体そんなもん。先日は久しぶりに顔を合わせてだらだら取り留めもないことを喋った。母親が最近見て面白かったけどタイトルが思い出せない映画があるというのでどうしても見つけ出したくて、二人で1時間半くらいかけて調べた。最後ようやく見つかって、「なんなんこの時間」「しんどいって」と言い合いながら解散したとき、昔に戻ったみたいでうれしくなった。もう昔の彼女はいないし、それは私にも言えることで、どうにかその事実を受け入れていくしかないとわかっているのにふたりとも悪あがきをしてしまう。

 

人との関わりについて、この人のこと嫌いだなーとか、この人のこういうとこ嫌だなあと思うこと自体がデカめのストレスなのでやめたいのだがやめられる人間がいたらそれはもう人間ではないのでどうしようもない。口に出さないことだけ心がけよう。言ったら終わりです。

 

そんな感じ。普通に24歳過ごしててあっけない。ダサめの人生ですがぼちぼちやっていきましょう。

 

想像上のダム、書くことのない手紙

 

PMSが酷すぎて食欲の減退と胃痛と闘ったあとに今度は壮絶な眠気と落ち込みに襲われている。まともに過ごせる日が月に一週間くらいしかないのはいったいどういうことなんだろう。ここ数年の抑うつ傾向も合わさって増大した希死念慮はいつか自分を本当に殺してしまうんだろうか。

鬱々とした気分が酷くなってくると立って数歩歩くのも億劫になりとにかく横になっているしかない。ここ数日リピートしっぱなしの曲をイヤホンから流し目をつむって死ぬ妄想をする。ドアノブで首を吊るか、ダムに身を投げるか、マンションから落ちるか。どれも現実味がない。部屋は片付けておくべきか、何か書き残した方がいいのか。そんなふうに考えているうちに眠気がやってきてそのまま泥のように眠る。これも短い死のようなものなのかもしれない。

別に本当に死ぬわけではなく、そもそも行動力もないからロープを買うわけでも見たことすらないダムに行くわけでも屋上に立ち入れそうなビルを探すわけでもないんだけど、それでも想像くらいはしないとやっていけないのだ。じゃないとこんな真っ暗な頭でどうやって生きていけというんだ。

 

妄想と眠りとを繰り返しているとだんだん落ち着いてきて、ここで一時間ほど本を読んだりコーヒーを飲んだりする。勢いがつくと簡単に掃除もする。そうして段々と普段の生活を取り戻していく。仕事のことを考え、後回しにしていた連絡を返す。明日は本を買いに行こうと決める。

いつか本当に死んでしまう時がきたとして、これだけ妄想を繰り返しているなら予行練習は完璧だろう。でもきっとうまくいかずにテンパるんだろうな。

自分だけの、夜でもやや明るい部屋

 

最近まで、夜はずっと部屋の電気を点けずに暮らしていた。部屋の間取りとしては1Kで、六畳もない部屋の、ドアを介してすぐ隣にキッチン、そこから玄関まで短い廊下があり、その廊下の照明だけ点けていた。なので部屋はもうほぼ暗闇といってもいいくらいで、ほとんど何も見えないような状態で生活していた。すこし精神的な部分で体調を崩していたので、明るい部屋だと落ち着かなかった。横になってばかりでまともに掃除が出来ていない部屋の、床に転がった細々したものや、部屋の隅のほこりが、明るい電球の光のもとに晒されるのが耐えられなかったんだろう。

食事をするときももちろん真っ暗なままだったから、たまに火の通り加減が不安な鶏肉をひとくちかじって、なんとなく生焼けのような気がするとスマホのライトで肉を照らし火が通っているか確認していた。かなり奇妙で滑稽だったと思う。

就職が決まり生活にリズムが出来始めると、なんとなく新しく照明器具を買おうと思った。入居時から備え付けの、日本のワンルームによくあるシーリングライトと適当に買ってきた高ワットの電球の組み合わせが悪いだけで、たとえば間接照明になるような小さなライトをいくつか買ってきてそれにオレンジ色に光る電球を合わせれば、肉に火が通っているか確認できるくらいの明るさにはなるだろう。考えてみれば簡単なのことなのに、思いつきもしなかった。ずっと生活というものを放棄していた。

さっそくいろいろとネットで検索して間接照明によさそうなものを探したけど、結局押上のニトリまで行ってひとつ2000円くらいのものを買った。宅配便というものが苦手なので、できれば店頭で買いたかったからだ。インダストリアルな感じの、セメント素材の小さな四角い土台に、好みの電球を裸のまま装着するタイプの照明。

2つ買って部屋においてみると、けっこういい感じになった。部屋をお洒落に見せたいならまずは照明!というようなネット記事をよく見かけるけど、確かに間接照明の威力はすごい。安アパートの、ベッドと机くらいしかない小さな部屋がそれっぽく見える。

かくして私は自分だけの、夜でもやや明るい部屋を手に入れた。

おもしろいことに、あれだけ明るいのは嫌だと思っていたのに、今度はもっと明るくしたくなってくる。もうひとつ照明を買って置こう、自分の気に入るものを、と思い始める。

ずっとセルフネグレクト状態だった。暗い部屋で横になってばかりで、掃除もできなかったし眠るのも下手くそだった。照明ひとつで急に生活がうまくなった気分だ。少しずつ生活を正していく。明るい部屋で、清潔なシーツで眠る。むかし、16歳の自分が日記にこう書いていた。

「夢は何ですかと聞かれた時、住んでみたい街に住んで広くなくていいので綺麗にしてある部屋で生活して、きちんと仕事をすることですって答えてみたい。ハードな夢だ。」

その通り、それはとてもハードなことなんだけど、23歳になった自分は、でもせめてこのくらいの夢は叶えてやらねばと思う。古くて汚い借家で暮らしながら、東京に出ることばかり夢見ていた16歳の自分のために。

 

 

 

 

20200905

 

転職して一か月半くらい経った。

前の職場では死ねやゴミや殺してやろうか等の暴言が飛び交っていたが、今の会社は一切そんなことはなく、驚くほどみんなやさしい。朝礼で一本締めもしない。

転職する前は毎朝腹を下し号泣しながら帰宅し床に大の字になって夜が明けるまで煙草を吸ったりしていたけど、今はベッドで眠り仕事が終われば呑気にビールを飲みながら本を読んだりしている。たまに禁煙期間も設けている。

休みは少ないし所属している部署は社内いち忙しいそうだが、営業部ではないので精神的な負担は比較的少ないと思う。遠出や出張や作業量が多く体力はいるようだけど、大学生時代4年続けたバイト先で無欠勤を貫き通した自分なので、メンタルは弱いが比較的健康体からするとまあそれなりに向いているのかもしれない。

 

仕事の内容としてはやや専門的で一部業務はけっこう理系よりなのでゴリゴリ文系としては呆然とすることも多い。と同時に人前で喋る場面も多く、なにかをなるべくわかりやく説明したり丁寧に話すことがそれとなく得意な自分としてはそこで挽回するしかないかなと思う。後者については褒めてもらうことも多く、あなたの長所だからがんばれと言われた。前者に関してはもうとにかく勉強してなるべく足を引っ張らないレベルまで持っていくことが目下の目標になる。

 

相変わらず希死念慮はときどき顔を出す。生きていて楽しいかといわれると、まあ別にそんなことはない。今この瞬間死んでしまいたいなと思うこともある。

 

でも今日電車に乗って車窓を流れていく白い雲やマンションや駅のホームに立つ人々を眺めていると、なんだかずいぶんと優しい会社の人たちを思い出して、さすがに今死んだらお金かけて採用した人間が1か月半で消失することになってかわいそうだなと思った。なので、3年がんばってみようと思った。3年は、まあその間に仕事をやめたり転職したりしてもいいんだけど、生きてみようかなと決めた。3年後、それでも死にたいなら、それはそのとき考えようと思う。

 

でも別に、本当につらいなら、いつだっていなくなってしまっていいのだ。誰しも。私はそう思う。

 

 

 

 

雑記

20200730

仕事やばい。覚えることがありすぎてシンプルにパニック。会社の人はみんな穏やか。休みは少ない。前職より気持ちは楽だけど始業前に吐き気と腹痛に襲われているのでたぶん自分がメンタル弱すぎるんだろう。でも休み少ないの結構つらい。休み多くて上司に死ねって言われるのかいつもニコニコ穏やかな上司と土曜出勤するのか、どっちがマシなのか。

 

思い返すと酒を飲んだ時しかこのブログを書いていない。シラフだと日記も書けないような人間になってしまったのだ。岸先生のにがにが日記が久しぶりに更新された。おもしろかった。関西の血を感じる。

 

不安定なやつなので今絶賛死にたい期に突入している。いつまで希死念慮と暮らしていくんだろう。もうそろそろうんざりだ。生きるのは大変。労働とは。

 

三杯くらいしか飲んでないのに猛烈に眠い。もっと潔癖の自分による自分のためのルールを守らなけれならないのに守れていない。

 

昨日は首都高沿いをひたすら歩いた。人は少ないけどそこそこ道も明るくて散歩にはちょうど良い。首都高を間近で見るとこんな巨大なものを人間が作ったのか……と気が遠くなる。

 

 

 

雑記

 

20200511

 先日小学校からの友人に教えてもらったJohn GastroのLocal Distanceを最近ずっと聴いている。歌詞が語っているのはたぶん私たちが生まれ育った環境と似たような場所なんだろう。地方都市の二番手くらいの街。映画館とスタバはないけどツタヤとサンマルクはある。ボロボロのライブハウスも。本屋もいくつか。ヴィレヴァンと。何もないわけじゃないのにそれでも私たちは東京に出たかった。ツタヤの音楽コーナーが狭すぎたんだな。音楽くらいしか楽しいことがないのに。

 

 

獣のような鬱

 

20200725

仲の良い先輩の家でドラマを見たりして過ごした。夜中の2時にふたりで隅田川沿いを散歩する。親に半分出してもらって家賃10万のバストイレ別新築ワンルームに住んでいる先輩。私がラッパーだったらディスってると思うけどラッパーではないので良いなあと思うくらいだ。

 

20200726

目が醒めた瞬間にまあまあデカめの死にたさに襲われて、またかよと思う。こいつといつまで付き合っていけばいいんだ。たぶん死ぬまでだ。布団にくるまって巨大なダムに身を投げ入れる想像をする。消えたいと思いながらダムまで行く勇気はない。まず最寄りのダムの場所も知らない。

煙草の本数が増える。吐きそうにながら火をつける。メルカリで買った勉強用の分厚い資料が届く。化粧品を二つ売って作ったお金が紺色のテキストに変わる。

雨音がうるさい。近くで工事をしているらしい騒音に腹が立つ。叫びたくなる。夕方にもう少し眠る。嫌な夢をみて泣きながら目を覚ました。母親が数十万が入った封筒を投げつけて男と車でどこかに行ってしまった日を思い出す。すぐに帰ってきたけど。

みんな罪滅ぼしをしながら生きているんだろう。韓国の若いアーティストが人間はみんな人生の人質なんだと言っていた。その通りだなと思う。

死にたいと思う瞬間が減らない。駅の階段を下りながら死んだほうが楽だなと思う。何から見て楽なのかはよくわからない。死にたいと思うのに昨日みたいに川沿いを散歩すると気持ちがいいと思う。矛盾している。

積み上げた本にぶつかって崩してしまっても元に戻さない。片付けた机が30分でめちゃくちゃになる。体が重たくてお風呂に入れないのにサンダルで歩き回った足で自分の家には上がらない。煙草を吸ったあとハーブの匂いがするハンドソープで念入りに手を洗う。

誰かが我慢しなければ物事はうまくいかないのか?いちばん我慢しているのは誰だろう。母親の顔がいつまでも覚えられない。というか誰の顔もちゃんと思い出せない。

やり始めたことはいつかは終わる。死ぬために生きている。わかっているはずなのに始められない。自分はまだ生まれていないんだろう。生まれないまま死ぬのかもしれない。